たかが年一度の参拝で英霊の鎮魂となり得るのだろうか

 何かにお祈りするという人間にとって、最も根源的な心の問題が、年一度の参拝で済まされるような、そんな軽い事象でしょうか。


 よく知られたことですが、ある宗教では、毎朝、お経をあげるのがお勤めとなっております。普通の人の心の問題というのは、一日24時間、一生を賭けたものをいいます。


 戦後、朝日新聞にコラムをもっておられたカンドウ神父(日仏学院創立の功労者)は、ある日次のような趣旨のことを書いておられました。


 国会議事堂で、議員さんたちが何かにつけて黙祷を捧げる行為がよく見られますが、1分や2分の祈祷では、本来の祈祷の意義に適わないという文面でした。当時、無宗教の私でもいたく感じ入りました。ファナティックな宗教もはた迷惑ですが、原始的な宗教心さえ持ち合わせていない人も困ったものです。いま、日本では、宗教は重要な位置を占めていませんが。


マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)


バスクとバスク人 (平凡社新書)

バスクとバスク人 (平凡社新書)