早期英語教育賛否論争のおかしさ

早期英語教育について、いま日本で、取りざたされている賛否両論は、どうも良くかみ合っていないと思います。それらは、現実に存在している子供の置かれた立場への配慮に欠け、多くは学成った大人の論理(昔、子供だったのに)に他なりません。教える側の論理で、教えられ側の論理に目配りがないのです。


少し長くなりますが、世界通の中津燎子さん(1925年博多生まれ。ノンフィクション作家・英語発音訓練研究の「未来塾」顧問。74年『なんで英語やるの?』asin:4167195011 第5回大宅賞受賞)の『英語と運命‐つきあい続けて日がくれて』asin:4883203395ご紹介します。


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長い間英語塾を開いていたため、私には常に同じような問いかけが集中する。
「子供は何歳ぐらいから英語をはじめたらいいのでしょうか? 三歳ぐらいですか?」
と聞く人は山ほどいるが、
「子供が犯罪の犠牲にならないような育て方はどうやったらいいのでしょうか?」
とは、めったにだれも聞かない。
だが、この二つの別々の質問に対して私の答えはたった一つである。
「子供に正真正銘の自立を訓練する」

それしかない。犯罪者から逃げるにはまず、「自分」にとって異質の侵入者が「敵」か「味
方」かを見分ける、しっかりした「自分」がなければならない。

 そしてそのしっかりした「自分」は、「外国人」と「外国語」に接触した時にも絶対必要なものなのだ。外国語は使いこなせてこそ価値があり、使いこなすには「自分」が必要不可欠なのだ。ニ、三歳の幼児に英語を教えるほどのヒマと財力があったら、そのお金を貯めて、五歳になるまで待ち、欧・米・豪を探して、国際化教育(異人種・多文化教育)をやっている幼稚園のサマ−スクールに一ヶ月お世話になることだ。両親も同行して粗末なモーテル暮らしをやりながら毎日のクラスを見学することをおすすめしたい。

五歳児がこうしたクラスで何を見て、何を感じ、何を知るのか?
それはきれいな英語の発音でもなければ、むつかしい単語でもない。
同じクラスで共に飛び跳ねたり、ケンカをしたりして遊びほうけている、金髪、ちぢれっ毛、黒髪、茶髪、の異人種の子供たちの存在を同じ人間としてまったく当たり前に認識し、受け入れること。
そして、イヤな相手には「イヤだ」と言えて、その理由が説明できること。何が危険で何が安全か常にいえること。

もっとも大切なことはそういう「自分」のあり方を自分でふつうのこととして受け入れること。
以上の三点に尽きるのである。(第14章 無責任桃源郷 339から341ページ)

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本書を読まずして、専門家も勉学者も、外国語を語るなかれと申し上げたい。