辰巳芳子さん提唱の「大豆百粒運動」を応援します

いま、教育の現場が荒廃している中、料理研究科・エッセイストの辰巳芳子さんが提唱する「大豆百粒運動」を応援します。


小学校の一隅にささやかな畑を作り、大豆の一年間の生長を、先生と子どもたちが一緒になって追いかける。六月に種まき、鳩などに食べられないようにと、子どもたちの発案で案山子をつくったりして、そして、発芽を迎える。「ほんとうに芽が出たんだな」と感嘆する子どもたち。夏には草取り、土寄せ、汗びっしょりになって畑仕事。背丈がちょうど子どもたちの背の高さになり、畑の中、みんなでかくれんぼ。


秋になると、青々と繁っていた大豆は茶色く枯れる。それは「実り」なのだが、大豆が死んでしまったと本気になって心配する子どもたち。世代交代していく命について、実物と実体験を通して、子どもたちは自ずと学んでいく。その後、収穫に脱穀と、身体全体で大豆と付き合うことになる。


最後は、きなこ粉つくり、味噌つくり、収穫の喜びをしっかりと実感する。人間教育の理想がここにはあります。(典拠:NHKテキスト知るを楽しむ5月『辰巳芳子いのちのスープ』160〜169ページ「大豆百粒運動に参加して‐二年間の活動の様子と子どもたちの成長」長野県上田市東塩田小学校教諭 春原美佐子記)


辰巳芳子さんは、高齢老人へのスープサービス「スープの会」を主宰。スープは母乳に同じ、飲んだ人の心と体を癒す。料理を「いのち」という視点でとらえると日本人が忘れかけていた大切なものが見えてくると述べ、スープづくりは人を育てると主張する。


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愛は、常に表現を求めます。その表現方法を知らないと、愛はさまようのです。食べるものをつくることは、とても自然なこと。いかにも自然なことではあります が、克己心も問われます。愛とは、意思的なものです。己を超えてゆくところに、愛にみがきがかかるのです。家族にお料理をつくる場合は、家族の心身の生命を守るのです。子どもは自分が大きくなりたいと思う以上に、生物としての欲求がありますから、自分の命を守ってもらえているという安心感がそこにある。親子の絆は、そこで固まっていくはずではないかと。
(同テキスト102ページ)
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ああ、さすが、エッセイストはかざりではありません。有り難いことに、いい日本人がまたここにいました。


あなたのために―いのちを支えるスープ

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手しおにかけた私の料理―辰巳芳子がつたえる母の味

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毛づくろいする鳥たちのように

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