平岩弓枝さんの『西遊記』(毎日新聞朝刊)に参っています

社会人になって誰しもが思うのが、小説を読む時間の確保が難しくなることです。仕事にまつわる実務書を読むのが精一杯で、なかなか小説まで手がまわらない。でも、ハウツーものとか、スキルアップの本ばかり読んでいると、心が涸れてきます。


小説を読むと、一日のスケジュールを狂わしてしまうのがこわい。面白いと途中で止められなくなり、睡眠時間とか、何かを犠牲にしてしまうことになるからだ。それで、小説の本は未読了のまま本棚に積まれていく。


何時からか、新聞の連載小説を読むようになった。気が付くと、当代有数の作家の多くに出遭っている。読み方にコツがあって、仕事が忙しく、読めない日が続き一週間位溜まったとしても、週末にまとめて読めばよい。このとき、順不同になっても、あまり気にしないこと。面白い発見があります。毎日の挿絵がこれまた楽しみとなる。


ちなみに、夏目漱石の『虞美人草』1907年(明治40年)も、『三四郎』1908年(明治41年)は、初稿は朝日新聞に連載されたものです。いま、毎日新聞朝刊で平岩弓枝著・蓬田やすひろ画の『西遊記』を読んでいます。ある種の先入観から、読んでいな読者がおられましたら、今日からでも、読み始めることをお勧めします。もったいないです。


西遊記』のことを知らない人いないでしょう。でも、平岩弓枝さんの『西遊記』は輪をかけて面白いです。しかも、私には、教訓的です(小説を教訓的に読むのは邪道ですが)。現在、人は多忙のせいか、物事のとらえ方が一面的です。物事には多面性があることを忘れていました。物事には裏表があり、さらには、裏にはまた裏があると。


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道中、三蔵法師一行は、車遅国という国に入る。そこでは僧侶たちは皆奴隷の身分に落とされて餓死寸前、道士らの天下。成り行きは、旱魃で雨乞いに失敗した僧侶に代わって、雨を降らせたのはその国の緑山に住む三妖怪で、道士らを取り込んで、国王を懐柔し国を牛耳る。


孫悟空は、緒八戒沙悟浄と力を合わせ、術の騙し合いの果てに妖怪を殺したところ、遺骸は、虎、鹿、羊のそれであった。そこへ、緑山の神の老婆が現われ、亡骸を引き取らせる下さいと国王に懇願し、事の経緯を語る。


元は、人跡未踏の山だった緑山に、僧侶が大伽藍を建立すべく山を開いため、山に住む獣たちと鳥たちの生命線が奪われてしまったのだ。雨乞いの機会に乗じて、生存権を守るために立ち上がったのが、三妖怪であった。彼らは、妻を失った虎、兄を殺された鹿、我が子のうらみを晴らそうとした父羊であった。実のところ、妖怪は、自分たちの自衛権を行使しただけであった。国王は深く反省し、僧侶を奴隷から解放し、緑山に入るのを禁じた。

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新装版 御宿かわせみ (文春文庫)

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