国乱れ人心荒廃し、いじめ多発

北海道滝川市の小学校でのいじめの核心は、昨年9月(一年も経っているのです)、6年生の女児(そのとき12歳)がですよ、学校の教室を死に場所に選んで、首をつったという事実です(痛ましくて書くのがつらいのですが)。これは、いじめがあったとか、ないとかの次元に止まらず、学校そのものへの死を賭した抗議ではないですか。ひいては、社会への訴えです。


先生がたは、自殺の現場をよく見たのでしょうか。かけよったのでしょうか。それとも、死の現場から逃避したのでしょうか。このとき、取った行動で教師としての真価が問われます。たとえ、遺書がなかったとしても、その女の子は、揺るぎない形で遺志を示しているではないですか。


テレビで見た限りでは、遺書は、便箋にきれいな文字が連なっていて、死を直前にした心の乱れが見てとれませんでした。それほどまでに絶望していたのでしょうか。そんなことはお構いなしに、保身のあまり、滝川市教育委員会と北海道教育委員会とがとった、その後の遺書の取り扱いには、心が寒くなります。


一方、いじめの加害者の問題も深刻です。福岡県筑前町の中学二年男子生徒(13歳)による自殺事件で、同級生の一部のグールプが、一年前から度々、「死ね」「うそつき」などと生徒をののしったほか、自殺後も学校で「せいせいした」などと口にしていたことが分かっています。(以上、北海道新聞


いじめは人間の永遠の問題でもあります。第二次大戦時、疎開した子どもたちの多くが、程度の差はあれ、田舎でいじめ体験を持っています。いじめが勢力をふるうのは、どうも、国が乱れ人心が荒廃している時のようです。


戦後間もなく、疎開ではないが、都会っ子が田舎へ転校していじめにあっています。作家なかにし礼さんの経験は凄まじい。転校先の青森の小学校でいじめられ、靴の底で引っ叩かれたり、丸太棒でぶんなぐられて気絶したこともあり、その後の、なかにし礼さんの人間観に深く影を落としているといいます。


人間には本来残忍なところがあります。ケン・フォレットの『大聖堂』は、12 世紀のイングランドでの話。絞首刑の場面に始まって、絞首刑の場面で終わります。人々は、まだ薄明かりの早朝から、絞首刑が執行される町の広場に、老若男女三々五々、集まって来ます。子どもたちは、前の方に陣を取ろうとして、大人に摘まみ返されます。ビール売りのおばさんが樽をごろごろ転がしていたり、首吊りが失敗した死刑囚の凄惨な苦しみようを物知り顔に披露する観客もいます。

要は皆で死刑を楽しむのです。