国家権力はどこまで残忍になれるのか


治者もし誠実に、寛大に、親切ならば、その結果は
おのずから被治者の平和、好意、秩序、尊敬となるべし 

エドマンド・パーク


長くなるが、怒りを込めて引用する。

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硬直して土色に青ざめた顔は、極度の苦痛のため筋肉がよじれて、まるで別人のような凄じい形相だった。その左のこめかみが直径一寸ぐらいの皮が丸くはぎとられて、肉の露出した傷口にドス黒い血痕がこびりついていた。頬には鋭いキリを突き刺したような傷あとがいくつかあり、顎の下が釘ぬきでえぐられたようにささくれだって黒血がひからびていた。

 
着物をぬがせると、ラクダ色のシャツとズボン下をつけていた。買ったばかりの真新しいメリヤスである。それは拷問のあとをかくすために、血だらけの下着にかえて警察で着せたものに違いなかった。首と両の手首、足首には、歯型のように肉にくいこんだ縄目のあとが、暗紫色にくっきりと刻まれている。それは一ト目で、天井の梁につりさげて拷問を加えたあとだとわかった。


シャツからズボン下とぬがされた瞬間、老母は『うわっ』と悲鳴をあげ、まわりの人たちも思わずアッと息をのんだ。ちょうどパンツにかくれる部分の下腹部から大腿部にかけて、ベッタリと塗りつぶしたように、なんともいえない陰惨な渋色に変色しているのだ。まるで渋色のパンツをはいているようだった。陰茎も睾丸も同じ色に大きくふくれあがり、皮がむけて黒血がこびりついている。しかも、その渋色の皮膚のあちこちに、顔と同じような鋭利なキリを突き立てた傷あとが二十近くもあって、噴き出した血が点々と青黒くへばりついているではないか。


 それは全く正視するにしのびない残忍極まる殺し方で、満座の人々は怒りに五体をふるわせ、婦人たちは顔をおおってむせび泣いた。(橋爪健『多喜ニ虐殺』)
――


昭和8年(1933)2月20日、小林多喜ニは、溜池の電車通りで格闘の末、築地署に連行された。そして、築地署の水谷特高主任、警視庁から来た中川特高係長、拷問係の須田巡査部長、山口巡査らに、凄じい拷問を受け絶命した(典拠。山田風太郎著『人間臨終図鑑Ⅰ』小林多喜ニの項90〜93ページ)。


現在、衆議院法務委員会に付託され審議待ちとなって共謀罪等新設法案に、小林多喜ニの死を思い、戦前の治安維持法の怖さを思った。


なお、14日、安倍首相は、米紙ワシントン・ポストのインタービューに答え、海外派遣した自衛隊武力行使についての研究の必要性を主張した(南日本新聞 FLASH24)。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=poli&NWID=2006111501000011



一行コメント蟹工船など48編の作品を網羅する

ザ・多喜二 愛蔵版

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一行コメント:稀代の悪法を克明に表わす

治安維持法小史 (岩波現代文庫)

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後で見るサイト:
・PS3、一部のPS・PS2用ソフト動作せず
http://ck.rd.livedoor.com/ck/d06111509/1114/


世界のどかでなにかが:
http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=11393


明日の六曜:仏滅
http://www.lookpage.co.jp/public/koyominext.html


明日の日の出(東京):06:17
日の入り:16:34
国立天文台天文情報センター)
http://www.nao.ac.jp/koyomi/