国家は拷問さえ輸出してしまう
高橋源一郎が、ある本を他人に紹介するには、その本一冊まるごと書き移してしまうのが一番という趣旨のことを、どこかに書いていたと記憶するが、これは正しくその種の本で、あえて無鉄砲を承知でご紹介する。それは、徐勝著『獄中19年』―韓国政治犯のたたかいー岩波新書(1994年(平成6年)7月20日第1刷発行。アンコール復刊2001年6月19日第6刷発行)である。
徐勝は、1945年(昭和20年)京都府生まれ。1968年(昭和43年)東京教育大学を卒業後、韓国に留学、翌年ソウル大学校大学院社会学科に入学。1971年(昭和46年)、弟・徐俊植とともに逮捕される。陸軍保安指令部によって「在日僑胞学生学園浸透間諜団事件」として発表される。以後、19年間非転向政治犯として獄中にあった。出獄後、カルフォルニア大学バークレイ校客員研究員を経て、立命舘大学法学部教授に就任する。
獄中の拷問の凄惨さは言語に絶する。究極の拷問は、自殺をしても、生き還されてしまうということだ。そもそも、自殺をするチャンスに恵まれるというのは、苦しみから逃げられるので、皮肉にもラッキーなことなのである。
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韓国の監獄制度が日本植民地支配に源を発しているだけでなく、今日においても研修だとか視察の名目で幹部級の矯正官僚が日本を訪れ、日本の指導をうけ学んでいる。特に非人間的な管理技術などを熱心に学んでいるようだ。私は日本からきたせいか、日本に行ってきた所長や教務課長から外遊の自慢話を何度か聞かされたことがある。その中で日本の保護房を褒め上げる話もあった。(Ⅴ再会―八〇年代・大田重拘禁矯導所―閉鎖独房225ページ)
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尋問官たちが立ち去ってしばらくして、警備兵は机に突っ伏している私をちょっと眺めて、戸を開けて外に出た。半分開いた戸から朝の光が射し込み、紫色のタバコの煙がユラユラと立ちのぼった。
「一人っきりになるとは!」常時監視は鉄則だ。便所に行くのにも警備兵が必ず同行する。奇跡のようなことが起こった。「今しかチャンスはない。もう一度、尋問官が入って来たら、すべて筋書きどおりにされてしまうだろう」。チョロチョロと燃えているストーブが目に入った。少し離れて一斗(一八リットル)ほど入るタンクがビニールパイプでストーブに繋がっていた。ポンという音とともに巻き上がる紅蓮の火柱に包まれ、泰然と座禅を組む僧侶が脳裏に燃え上がった。
上着を脱ぎ、たたんで机においた。燃料タンクを持ち上げ、栓を開けて頭から油を注いだ。油はまんべんにかからず左側に少しそれた。マッチやライターを捜したが見当たらなかった。机の上の調書を一枚とり、グルグルと細長く丸めてストーブの火をつけた。火を腹部につけたが、予想に反し火は燃え上がらなかった。石油と違い、軽油は燃えにくいのを知らなかった。
警備兵はタバコを吸い終わり部屋に入ってくれば、もっと恐ろしい拷問が待ち構えている。焦燥で体がブルブル震え、心臓は破れそうだった。火を左手に持ち替え、薬指と小指の間に挟み指先から炎が伝わり燃えあがるのを待った。下に向けた紙の火は細長く燃え上がり、指から肘までを焙ったが、なかなか火はつかなかった。じれたいほどノロノロと指先から手へと伝わって燃え上がった。
腕を包む薄いセーターが燃え上がるにつれて、刺すよな痛みが走った。警備兵に気付かれまいと必死になって悲鳴を抑えたが、勢いを増した炎が肩から顔に移ると、こらえきれずに、「オー、オー、オー」と、悲鳴が喉仏を擦(こす)るように出てしまった。そしてセメント床に転がった。死のうとしたのに、本能的に火を消そうとした。死なねばならないという意志と本能的な死への恐怖の間で、熾烈な葛藤が私を七転八倒させた。
悲鳴を聞いて、兵は駆け込んできた。慌てふためき、ストーブのそばの防火用水のバケツをつかむなり、水を浴びせかけた。その瞬間、火は「ゴー」と音を立て燃えさかり、兵は驚いて助けを求めて戸外へ飛び出した。
私は床を転げまわり、戸外に転がりでた。集まった兵士らは、砂を浴びせ軍毛布をかぶせて鎮火すると、担架とトラックと病院を手配しに散っていった。
四月の朝に太陽は燦燦と、雲一片もなく、空は青く、高かった。
何の苦痛もなく、「これですべては終わった」という静謐な安堵と平安だけがあった。草っ原に取り残された子供のように、物悲しい静寂のなかで、吸い上げられような青空を見上げていた。涙が目尻を伝って流れ落ちた。口の中で、繰り返し、繰り返し、つぶやいていた。「オモニ(お母さん)、すみません。オモニ、許してください」(Ⅰ保安司―獄中生活の始まりー四月の朝のあの青空‐焼身 12〜14ページ )
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(国立天文台天文情報センター)
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