高齢化社会のお手本を江戸時代に見る


貝原益軒(享年以下略85)、加賀千代(73)、杉田玄白(89)、良寛(74)、大久保彦左衛門(80);長寿快老の達人たち。伊能忠敬(74)、佐原菊塢(きくう)(70)、神沢杜口(かんざわ・とこう)(86)、烏亭焉馬(うてい・えんば)(80)、大田南畝(なんぽ)(75)、歌川広重(62)、大田垣蓮月(れんげつ)(85);隠居後の華麗なる変身。山本常朝(つねもと)(61)、十返舎一九(67)、葛飾北斎(90);死と隣合わせの生を見据えて生きる。


議論の別れるところはあるものの、堺屋太一氏は、イタリア・ルネッサンス期は高齢化社会の基盤の上に繁栄したとの見解を示し、高齢化社会を必ずしもネガティブに捉えることはないとしている。が、話をなにも外国に持っていくまでもなく、高齢化社会を上手に生きるお手本を、「人生五十年」といわれた江戸時代の先人たちに見ることができる。


「生八十年時代」、仕事に定年はあっても、人生には定年はないので、定年後の人生が約二十年も延びてしまった。それを消極的に受容するか、あるいは、もう一つの人生と積極的に生きるかで、人生の総仕上げが全く違ってくる。きょうは、定年が間もない方に、中江克巳著『江戸の定年後』(“ご隠居”に学ぶ現代人の知恵)をご紹介します。ためになります。


貝原益軒。あの有名な『養生訓』を書き上げたのが、死去する前年84歳のとき。人生をとことん使い切った。益軒69歳の時、妻の東軒47歳を連れ立って、京都へフルムーン旅行としゃれ込んでいる。従者7人とともに、奈良、大阪などの景勝地をめぐり、旅は1年半近くにもおよんだ。有馬温泉での半月ほど湯治が『有馬山温泉紀』の著作として残った。貝原益軒は硬いばりではありません。


伊能忠敬。「人生五十年」の江戸時代に、五十歳を境にして、測量、地図づくりと、それまでとは別世界に足を踏みいれ、文字通り人生を二度生き抜いた男。酒造業の家督を息子にゆずり、江戸へ出て、若者のごとく熱心に天文学を学んだ。現地測量は自発的なため、当初は自費でまかなった。17年間、9回にわたる測量で歩いた距離は、地球を一周したのに近い約三万五千キロにおよんだ。しかも、五十歳前後から、忠敬には痰咳と痔の持病があった。ああ、その夢の大きさよ。


山本常朝。「人間、生きるほうを好む(死ぬよりは)。だから好きなほうに理屈をつけたがる。しかし、目的を遂げることもできず、ただ生きのびるのは腰抜けである。このあたりがむずかしい。目的も遂げずに死んだら犬死に、気違い沙汰だが、恥じにもならない」。「毎朝、毎晩、心静かに死を考え、死を思い、つねに捨て身になっているとき、武士道の覚悟が身につき、一生過ちもなく、武士のつとめを果たすことができるのだ」。『葉隠』の「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、ただ死ねばいいといっているわけではない。


現代においても、元気溌剌なの政治家。19日、74歳の市長が誕生しました。任期満了(十二月九日)に伴う金沢市長選は昨日投開票され、無所属現職の山出保氏が、市民本位の金沢市政をつくる会(市民の会)代表委員の無所属新人平田俊一氏(55)と、元中学校教諭の無所属新人中川隆幸氏(59)を大差で破り、同市長選で初の五選を果たした。投票率は27・39%で過去最低だった前回選(26・38%)を1・01ポイント上回ったが、過去二番目の低さだった。(中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/00/ikw/20061120/lcl_____ikw_____000.shtml


参照図:人口構造の老齢化
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz195901/img/fb2.9.gif



一行コメント:
いま注目の江戸情報がいっぱい

江戸の定年後―“ご隠居”に学ぶ現代人の知恵 (光文社文庫)

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一行コメント:老齢化と少子化を考える

論争・少子化日本 (中公新書ラクレ)

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後で見るサイト:
藤原紀香の結婚は「政界進出」への足がかりか
http://ck.rd.livedoor.com/ck/d06112010/1119/


世界のどかでなにかが:
http://www.otoa.com/home/news_ditail.php?serial=11412


明日の六曜:仏滅
http://www.lookpage.co.jp/public/koyominext.html


明日の日の出(東京):06:22
日の入り:16:31国立天文台天文情報センター)
http://www.nao.ac.jp/koyomi/